_細岡展望台からは遮るものがなにひとつなく、広大な湿原の眺め。だだっ広くて写真では表現しずらく目で楽しむことにして記念撮影。

厚岸町へ
_細岡展望台12時50分発。この日の天気はずっと薄曇り。R44号で厚岸(あっけし)の道の駅厚岸グルメバークへ。海産物の土産を頼まれた息子は、牡蠣ばかりで意に添う物はないようで、店の人に豊富に海産物を扱ってる場所を尋ねる。厚岸漁業協同組合直売店に移動。
_組合直売店には色んな魚介類が豊富にあった。息子は、北海道と云えば「毛がに」だろうと従業員に生簀から一番大きなのを選んでもらいボイルをお願い。さらにこの地で有名な縞エビも注文しクール宅急便で送る。それを見ていた私も、新鮮な本場の毛ガニに喜ぶ娘夫婦の顔が浮かび便乗、大型いっぱい。

_その後行く先々の土産物店でボイル済みの毛ガニを見たが、この店にあったほどの大きなものはなく、しかも高っかた。直売店は正解であった。次回訪れることがあったら再び訪ねよう。あとで聞いた話だが、厚岸は牡蠣の本場らしい。

あやめケ原

_14時50分厚岸漁業協同組合直売店を発ち、北海道で最初の海上橋として昭和47年9月に開通したという赤い橋梁の厚岸大橋を渡り、道道123号であやめケ原へ。
_あやめケ原の駐車場にバイクを停めあやめケ原へ歩く。放牧されている馬が入らないよう周りには柵が設けてある。その門扉を開け、紫の花咲く岬に入る。あやめは七分咲きで元気なくもうひとつだった。
(あやめケ原にて)
_馬の記憶
 柵の外では数頭の馬が草を食み走り去った。いつの日か見た光景がふとよみがえった。いつだったろうか・・・。
_その日は、妻と北海道道東観光の途中で、多分、あやめケ原の看板に誘われ、車を停め霧霞の中を歩いていた。突然、右手の霧の中からドドドドと蹄をならし数頭の馬が勢いよく走って来た。その姿は勇壮で生気に満ち満ちていた。慌てて持っていたカメラのシャッターを押したがチャンスは一回きりだった。馬達は瞬く間に霧の中へ消えて行った。その先の歩道は霧深く何も見えなかったので引き返したが、馬達の姿だけが記憶に残った。帰宅し、写真に現像すると、霧の中を走る馬はいたが画角とピントが甘かった。そしてその場所が何処だったか、どうしても思い出せないでいた。それを、今、鮮明に思い出した。霧霞と放牧された馬達の走る姿を見て。亡き妻とここまで足を伸ばしたことを・・・。

霧多布岬

_道道123号を走り琵琶瀬展望台PAに着いた。霧多布岬方面を遠望するが、その名の通り霧の中に埋まっていた。さて、どうする?。ダメもとで行ってみようということになった。15時20分霧多布岬着。薄曇りであったが展望がきいていた。

きりたっぷ岬にて

_今日は、きりたっぷキャンプ場が宿泊予定地であった。ところが息子が風邪ひいた様子、少し酷くなりかけていた。急遽、宿に泊まって身体を休めることにした。探し当てた温泉宿別海・道の駅・温泉、島梟は、ここからまだ1時間はかかる。足早に霧多布岬を観光し16時半出発。
_きりたっぷキャンプ場は、ロッジに自転車が一台持たせかけてあった。それ以外キャンパーの姿はなく閑散としていた。ここは風・霧にみまわれるのでテントではなくロッジだなと思った。
_17時半、しまふくろうの宿着。空はどんよりと曇っていた。温泉で手足を伸ばす。夕食はもうひとつだったが、部屋は大変綺麗で値段にしては上等だった。

本日の走行距離 183km

別海町から羅臼へ 7th day

納沙布岬

_8時8分しまふくろうの宿を発つ。

しまふくろうの宿の朝

_R243パイロット国道、R44を走り道の駅スワンねむろで小休止。根室市を経て海岸線を走る。北方原生花園に寄ろうと思っていたが、天気がもう一つなのでカット、一路、納沙布岬へ。10時3分納沙布岬着。空は薄曇りだが見透しは効いていた。これで霧多布岬、納沙布岬とも上出来だ。

納沙布岬にて

新酪農村展望台

_来た道を戻り根室市に入る。途中、オートバックスねむろに立ち寄りチェーンのメンテ。同市内でガソリンも給油し開陽台に向かう。
_今朝走ったパイロット国道を北進し道道8号に入るのだが、北進中、新酪農村展望台への道を見つける。行ってみようということになりUターン。何処まで行っても広大な牧場の丘。行けども行けども展望台の施設はない。適当に一番展望の効く所でバイクを停める。

牧場の丘

_「納沙布岬へ行く途中で、昨日走った道道123号に入って写真を撮りたかったが、曲がる所がわからなかった」と息子に伝える。彼はiPhoneで検索し、「この先を右折すれば行けるはず」行ってみると道道123号に合流した。諦めていた走行写真を撮ることができた。

道道123号にて

写真を撮り終え、道道123号を北進しR243別海交差点から道道8号に入り開陽台展望台へ。

開陽台

_今日も羅臼の海岸町という所まで長い距離を走るので、開陽台展望台での出発時間が気になる。宿泊は民宿を予約してあるが、遅くとも17時過ぎには着きたい。中標津町の町に入った。13時をとっくに回っていた。セイコマでパンでもと思ったが、もう少し先まで行こうということになり、結局、開陽台まで店は無く、開陽台14時13分着。caffe kaiyoudaiで軽食。
_開陽台15時頃出発。バイカーの聖地と云われる道道975号を走る。止まって写真を撮ろうかと思ったが、これよりも素晴らしい景色を何回も見てきたので走ることで良しとした。

羅臼展望台

_R335に入り羅臼へ。本日最後の国道を走る。この国道は海岸線を走っており、国後島(くなしりとう)が見えるのが何と言っても最大の特徴だろう。しかし、薄曇りで国後島は見えなかった。羅臼町には16時頃入ったが、宿に行くには早すぎたので、羅臼展望台に立ち寄る。残念ながら曇っていて国後島は見えず。根室海峡の海原が広がっているだけの景色。

相泊温泉

_R335から道道87号に入り、予約を入れていた民宿を通り過ごし、知床半島の日本最北東端の漁村へ向けて海岸線をひた走る。

_相泊温泉手前には満潮時になると沈む瀬石温泉がある。この温泉は次の機会に、やっぱり最北東端でしょう。16時10分相泊温泉着。羅臼町から30分程度だっただろうか。
_早速、温泉の様子を見に海岸に降りてみる。海に向かって開けた小屋があり、中には小さな脱衣場もある。民宿に着く時刻が遅れてもここまで来て入らないで帰るのはあまりに惜しいでしょう。海辺沿いにあるので湯はぬるいだろうと思ったが、これが熱くてゆっくり入らないとビックリしてしまう。慣れてくるといい湯加減で硫黄の匂いもなく、根室海峡を前に白湯の秘湯でした。

_相泊温泉は、道道87号道路の行き止まりの相泊漁村のはずれにある。日本最北東端の温泉だ。海岸を掘った露天風呂のお湯は底から湧き出している。明治37年に発見された秘湯だそうだ。

相泊温泉の道路を挟んで反対側の森に現れた親子鹿

羅臼の民宿
_身体も温まり、民宿本間に17時25分着。女将が出てきて受付を済ます。「この先に、相泊温泉温泉があるので入っておいで」と、「もう入ってきましたよ、いい湯でした」
_夕食19時、まずは生ビールで乾杯。同宿者2名、私たちを含め4名の夕食でした。そのうちの一人は飛行機で女満別空港からレンタカーでやって来た愛知のひと、シャチウオッチングで連泊らしい。もう一人は、交通手段は同じで東京からやって来た知床観光のひと、一泊二日の弾丸観光だって。

_民宿本間は、魚料理自慢の宿で、夕食の魚は絶品だった。ここまで来たぞ~、一度は入ってみたかった北海道最東端の温泉まで入浴したぞ~達成感で酒もなおさら旨かった。

羅臼の国境漁業
 民宿本間さんのご主人にはこんな歴史もありました。
 本間さんのご主人は漁師だった。夏は昆布採り、秋には手掻きの船で烏賊漁に、冬はウニ採りの仕事に従事していた。国境が直ぐ目の前の根室海峡は何時危険が我が身に降りかかるか判らない。昭和48年4月末、択捉沖で拿捕、マオカにて抑留生活4ケ月。
 田中総理の訪ソで恩赦の帰国。しかし船はロシアに没収され、新たに船を買い二艘分の借金苦。昭和49年6月世界各国が自国の二百カイリ制を打ち出し、日本も昭和51年12月に二百カイリ制を敷く。その翌年から大漁、魚の値段も高騰し借金苦から抜け出す。
 しかし、昭和58年頃から根室海峡にロシアの大きなトロ-ル船が姿を現すようになり、魚を根こそぎ奪ってゆく。年々漁が先細り羅臼の漁業に重く暗い影を落とす。跡継ぎのないご主人は、借金を重ねるわけにもいかず、遂に苦辛の選択、平成12年自主減船で漁師を辞める。・・・。
 (民宿本間さんのホームページより抜粋)

_ロシアの大型トロ-ル船は、羅臼の近海でさらに頻度を増し現在も操業し続けている・・・

本日の走行距離 345km

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